koza207’s diary

やがて80歳を向かえる 50歳の私を懐かしく振り返ることを想い始まった  とうに感傷の時はすぎてしまい いつ迄つづくのか続けられるのか?       

長老逝く


赤く燃え上がるモミジ葵の先の土手に立つ 長老
5月には車椅子ながらも花一番地に姿を見せた
7月に肺炎で入院しお亡くなりになったのはお盆を過ぎた頃?
お盆を過ぎたか曖昧な言い草をするより仕方なく
今時のお見送り事情とおり それと知らず風の噂で知った
初七日をとうに過ぎてから 残された方へのお悔やみを言えば
これもアッサリしたものでほんの身内だけで御座いますとの 弁
長老とその妻ともなれば人生をやりつくした達観の域で
自宅待機で時期を待ち ご近所やお地蔵様に挨拶済ませ救急車 
<今更騒ぐこともない静かに逝かせてや>の心境だったそうな
人の死に方としては上等でありますな〜〜
人生の終焉はこう在りたい良かったですねと口にこそ出さないが
語る方も聞く方もこれが弔いの言葉とも思えぬ立ち話・・・ 
ちなみに語る方は <幸せに死にました>良かったと申されました
赤く燃え上がるモミジ葵の先の土手に立った長老